SSWSで優勝して「ラップでいける!」と確信を持ち大学を辞めることにした抹a.k.a.ナンブヒトシ。
(前半のVol.1はこちら)
しかしそんなにすぐには世間が認めるほど甘くはなかった。
そんな中で彼はどのように進んでいき、アイドルEspesiaと仕事をし、
そしてFUNKOTに出会ったのか?インタビュー後編です!
‐大学を辞めた理由は?
抹 その学部、別に音楽は関係なかったんです(笑)。
‐(笑)。
抹 ただ、その時の友達は今だに仲良い奴が多いですね。ひょんなことからまた繋がったりしてますし。
‐大学に抹さんに必要なものはあまりなかったんですね。
抹 なかったですね。プラ板を曲げる事とかにあまり興味が持てなくて、あと、手先が不器用で向いてなかったんですよね、芸術学部。アーティスティックな人間じゃないですしね。だから単に進路選択ミスったなという気持ちもあります。
‐大学辞めた頃はまだ1人で活動されてたんですか?
抹 ネットにラップ投稿はしていて、大学1年の時にネットで知り合ったやつと初めてユニットを組みました。
‐ユニット名は?
抹 「普通/FUTOO」です。遊びみたいに活動してたんですけど、そこからさらに数年後の21才ぐらいの時にPentaphonicというグループを結成したんです。普通/FUTOOとluckydipというグループを合体させた5人組で、それはかなり本格的に音楽活動をしていましたね。Pentaphonicやってた頃は、コンテンツをちょっと制限するという意味合いも込めてネットへの投稿をやめたりとか、年間110本ぐらいライブもやってました。
‐その数は凄いですね。グループとしてはどういう内容の音楽でした?
抹 4MC+1DJで、ポップなことをやっていましたね。
‐初めて出会ったRIP SLYMEのように?
抹 まさにRIP SLYMEでした。あとは、FUNKY MONKEY BABYSのような熱いメッセージ性だったり。「本当に上手いラップでポップ・カルチャーに殴り込む」というコンセプトで活動してました。実際メンバーはみんなラップが上手かったんですし、その上でただラップが上手いだけじゃダメだという感覚も常に持っていました。
‐CDリリースもしてたんですよね?
抹 ミニアルバム1枚、シングル3枚、12ヶ月連続でiTunesで新曲リリースもしてました。あとは佐々木希さんにfeat.したり、「実況パワフルプロ野球」の仕事もしてました。
‐その佐々木希さんとパワプロのきっかけは何だったんですか?
抹 パワプロは、大田区出身アーティストと大田区の工場であるとか商工会で組んだバンドを繋げるというイベントがきっかけになってます。そこに大事MANブラザーズバンドのキーボードの人が出ていて、僕らのライブを見てポップで可愛いいラップできるグループがいるなという認識を持ってくれてたみたいで。で、その方がKONAMIと繋がりがあって、「ゲームのオープニングでラップできる子を探してるんだけど君たちどう?」って言われて何のゲームかわからず呼ばれたんです。
‐まぁいってみるかと。
抹 詳細はわからなかったんですが「損はないか!」って行ってみたんです。で行ったらパワプロで、「ま、まじかー」って。
‐「そのゲーム知ってるー!」(笑)。
抹 佐々木希さんの企画も同じ展開で、SONY MUSICのSD事業部の方に声をかけて頂いたんです。SD事業部主催のオーディションに何回か出させて頂いて、そこでは何もなかったんですけど、佐々木希さんのA&Rの方に見てもらっていて、「Pentaphonicさんもし良かったら何月何日にSONYに来て下さい」と連絡があって、なんか怖いなー変な話なのかなーと思って行ったら・・・。「佐々木希ニューシングル客演ご快諾ありがとうございます」って、着席した時点でやることが決まってて(笑)。まとめるとこの2つは人の縁と運によって引き寄せられたものなんだなと思いますね。
‐パワプロでは具体的には何をやったんですか?
抹 2011年オープニングテーマの作詞とラップパートの歌唱ですね。クレジットとしてはフィーチャリング表記なんですけど、基本的に作詞面の制作は全部僕らがやらせて頂きました。
‐佐々木希さんのほうは?
抹 森高千里さんの「ジンジンジングルベル」のアレンジだったんですけど、原曲のサビを活かしながら全部作詞やってという感じですね。
‐ラップは佐々木希さん?
抹 と僕らですね。僕は日本で唯一佐々木希さんとラップで掛け合いをやった人間なんです
‐(笑)。それ以降もないんですね。
抹 ないはずですね。日本で僕だけですね。
‐(笑)。レコーディングは一緒だったんですか?
抹 はい。
‐どうでしたか生の希は?
抹 いい匂いがしました(笑)。ちなみにレコーディングの時、年が近いという理由で僕らと佐々木さんは同じ待機室をあてがわれたんですよ。同じ部屋にいるんでお喋りするんですけど、凄い気さくな子で、礼儀も正しくて。で、お話してたんですが、僕らラッパーは全員目見ないで喋ってましたね、可愛いすぎて。
‐(笑)。
抹 見れないですねー。マネージャーさんいるし、変な発言したらマズイんじゃないかなって。ちょうど佐々木さんがセブンイレブンの冷やし中華を食べてて「そういうの食べるんですね」とかそういう話しかしてないですね(笑)。
‐それを聞くのでさえもマズイかなとか思ったりとか?
抹 はい(笑)。そしたら「私、家にいる時はチキンラーメンしか食べないんですよ」っておっしゃてて、いや、いや、いや、それでそのプロポーション維持できないでしょって思ったり(笑)。でもホント礼儀正しくて、可愛くて、無敵なんだなぁと思いましたね。神様っているんだなぁって。
‐なるほど。Pentaphonicとして活動を続ける中で反響とかはありました?
抹 そうですね、一番最初のアルバムは結構売れました。ただ主観的な話にはなるんですが、もう1歩行きそびれた感じですね。
‐行きそびれたというのは?
抹 やっぱり大きいところに行けなかったという気持ちが強いですね。それすらも結果論でしか語られないことが悔しいですね。あの時のベストは尽くしてましたけど。
‐そして2年前ぐらいにPentaphobicを脱退されたんですよね。
抹 そうですね。いろいろあって脱退しました。
‐その後はずっとソロですか?
抹 脱退したのが2012年末で、そこから今まで、抹 a.k.a. ナンブヒトシとしてソロで活動してます。
‐ちなみになぜ抹茶の抹なんですか?
抹 「高松」というのが本名なんですけど、この文字で活動してる人が既にいたんですよね。なので抹茶の抹にしたんだと思います。
‐ナンブヒトシは?
抹 僕の家の近所に南部屋(なんぶや)というスーパーと、もう1つイコールというスーパーがあって、その間に実家があるんで、南部とイコールをくっつけてさらに言い換えてナンブヒトシ(等しい)にしました。
‐ソロ活動の中でいろいろ出されてはいますが、アイドルのEspeciaと共演されて、feat.でラップもされていますがきっかけは何だったんでしょうか?
抹 EspeciaのメインプロデューサーのSchtein & Longer横山が僕の大学の同期とクルージングのパーティーをやっていたんです。そこにPentaphonicでお呼ばれして、Schtein & Longer横山とリンクしたんです。そこから数年間疎遠になってたんですけど、俺がソロになったタイミングで彼がEspeciaを手がけることになって。1st album完売御礼でフリーダウンロードの何かを出したいと思った時に俺のことを思い出してくれて大学の同期づてで連絡が来たんです。その連絡をしてきた同期がEspeciaの作詞をやってるmircoで、という大学時代の伏線回収的つながりですね。先述のクルージングというのが、今度政所さんも出演するクルージングイベントを開催している船だったりもして。
‐アイドルファン的には、急に男が出てきたら引いちゃうんじゃないですか?
抹 なんか引かれなかったんですよね。たぶんなんですけど、俺がデブだからじゃないですかね(笑)。
‐(笑)。「こいつは大丈夫だ」、と。
抹 あとはTwitterがインターネット臭いからじゃないですかね。絶対大丈夫と思って頂いてるみたいで(笑)。個人的にはEspeciaの女の子達よりも制作チームとフィーリングがあうところがあって、Schtein & Longer横山、最近MINMIさんのPVを手がけたホンマカズキ、mircoちゃん、ギターのサックワイルド、サックスのチー君、みんな同い年で、同じコジレ方をしていて。Especiaのファンの方ってEspeciaが可愛い、頑張ってる姿や歌がいいっていうのと同時に裏方のハチャメチャさについてこれてる人達がファンになってる気がするんです。だから彼らとフィールできてる俺のことも嫌悪感なく受け入れて貰えてるのかなと思っています。
あと、、、、俺自身がアイドルなんで。
‐。。。。。?
抹 ごめんなさい、なんでもないです。
‐(爆笑)。アイドルと一緒にライブやるのは楽しいものですか?
抹 楽しいですし何より勉強になります。アイドルって白鳥みたいなもんで、何百、何千時間の努力の結果で1つの笑顔を見せる。常に完成品を提示してるんですよ。自分の主戦場のラップの現場ではそうではなくて、どっちかっていうとバイブスだったり、雰囲気や空気っていうパーツパーツをその場で見つけてその場で積み上げて高い塔を作るっていうライブをしていると思います。でも、アイドルはいきなり高い塔をみせて、凄いでしょこの塔ヤバイでしょ、っていうライブをしているように思っていて。とても勉強になります。あとアイドルってアンチが出がちじゃないですか。
‐どうしても出てきちゃいますよね。
抹 これ、誤解を恐れずに言うんですけど、アイドルは、数多くいるエンターテイナーやミュージシャンの中でかなり努力してる部類だとEspeciaと一緒にやらして頂いて思いました。思ったよりチャラチャラしてねーぞ、って。
‐表も裏も見てますもんね。
抹 なので仕事させて頂いて良かったなーって思いますね。
‐Especiaとの活動も続けるなか、どこでFUNKOTと出会ったんですか?
抹 KAZUHIRO ABOさんが俺とFUNKOTを繋げてくれました。でもその前にお話ししないといけないのがABOさんが俺とアシパンを繋げてくれた事で。ABOさんとPentaphonicで2012年10月に「Party Holic」という曲をリリースをしていて、その時にやたらABOさんとウマがあって、アシパンに来いってずっと言われていたんです。Pentaphonicを脱退した2012年末にどうすっぺ、もう音楽辞めようかなと、精神的にも疲弊してて音楽無理かなと思ったんです。で、辞めたっていう連絡をABOさんにしたら、「このタイミングでアシパン来いよ、アシパンはどんなハチャメチャなやつでも受け入れてくれる箱だからお前も大丈夫だよ、政所さんも紹介するから」って言われてアシパンに流れ着きました。それがB.B.BというABOさんが主催しているパーティーの第1回目だったんです。その時に政所さんのDJプレイを初めて聞いてFUNKOTに触れましたね。
‐それまでは知らなかったんですか?
抹 周りの仲間でタマフルを聞いてる奴がいて、なんかやベーのあるぞって政所さんのブートのREMIXを聞かされたりしたんですが、当時は理解できなかったですね。
‐よくわからなかったと。
抹 その理由は今となっては分かってて。パソコンのスピーカーで、ブートの音質で、落ち着いた状態で、家で4分とか聞いても伝わんなかったんでしょうね。
‐オリジナルを作るようになった今と違って無理矢理ボーカル抜いて特にマスタリングもしていない時なので音質は悪かったですね。
抹 ローが凄い大事だし、パーティーの音楽だと思うんです。なのでハウスリスニングだけだったその頃まではFUNKOTってよくわからないやつだって思ってたんですけど政所さんのプレイを聞いて分かっちゃったんですよね。
‐体験してみてですね。
抹 ただ、初体験の日はよくわかんなかったんですよね。でも次の時にはすげー楽しいってわかってましたね、最高だろこれって。それで政所さんに押しかけるようにサイドキックさせて下さいって言ったんですが、最初は政所さんもたぶんそんなに受け入れてくれてなくて、顔つき的に。でも何回かそれをやらしてもらう中で政所さんに「抹君、今日さぁこういうのかけると思うんだけど、こういう感じでやろうよ」って言われて。既にFUNKOTにはまってた俺は日本のFUNKOTの象徴的な人に認められた!嬉しい!っていう気持ちがありましたね。
‐2013年11月にはMEGA DUGEMのvol.1に出演されましたね。
抹 hayabusa feat. 抹 a.k.a. ナンブヒトシとして出してもらいました。あの時はライブとかじゃなくて完全にサイドキックとしての出演でしたね。あの場で披露できる曲も1つもなかったですからね。そのhayabusaとの出会いもABOさん経由です。Tokyo Crown(hayabusaとsoloistのB2Bユニット)をあの人がブッキングして、こいつらすげーって思って年も近かったんですぐ話しかけて、その日の内にサイドキックしてました。
‐MEGA DUGEM vol.1はいかがでした?
抹 FUNKOTのヤバさを認識した日でしたね。主観的にヤバイっていうのは自分ではわかるじゃないですか。これをヤバイと思ってるのは俺とか政所さんとかの周りだけなんじゃないかなって思ってたんですけど、でもMEGA DUGEM vol.1とその告知のためにDOMMUNEに出てみて、凄いウネリの中にいたんだなって思いましたし、めちゃめちゃ反響もあって楽しかったですね。DOMMUNEが終わった後、宇川さんに「こんなになってるDOMMUNEはあんまりないね」って仰って頂いたんですけど、想像とか常識を曲げる力をFUNKOTはもってるんだなと思いましたね。
‐そういうFUNKOTやMEGA DUGEMへの思いをこめた曲「Enaker's High」の歌詞やタイトルを今回考えて頂いましたが。
抹 バースの中でも言ってるんですけど、もっとだろ、まだ足りないだろ、もっとヤバくなれるだろうっていう気持ちで書きましたね。FUNKOTのシーンではなくお客さんと俺達はもっとヤバくなれるだろうっていう気持ちを込めて書きました。可能性はまだまだあるし、俺達の脳みそはもっと脳内麻薬を出してくれるはずだ、その結果年老いる前に枯れてもいいだろうって思ってます。あとは国産FUNKOTのみんなの歌、「FUNKOT ANTHEM」以上のみんなの歌を作ろうという気持ちで作りました。僕、今日のインタビューの前に「Enaker's High」の作詞テキストを見直してきたんですけど、1行目に打倒FUNKOT ANTHEMって書いてありました。そのために必要なことを凄い考えて、一番最初出てきたのはDugem Risingであったり各地のパーティーに参加してる人達の顔だったんです。その人達のことを歌うべきだって。「FUNKOT ANTHEM」は日本にFUNKOTが到来したことに気付いて欲しいっていう外に向けた曲だと認識してるんですけど、外にベクトルが向く曲があるんだったら、今起こっていることを歌ったものがあってもいいのかなって。あとは今日のDUGEMで起きた事を残しておく日記みたいな、あの時こうだったよねってみんなで話せるものにしたいって意識もありました。だから歌詞の中で、「これ俺のことだろ」って思うお客さんがいると思いますし、その場合100%あなたのことです(笑)。MEGA DUGEM vol.1で作られたNEW ENAKステッカーに掲載されてるDJチームの名前も全部込めましたし、やっぱりみんなの歌ですね。
‐今後の展望は?
抹 例えば自分の、抹のアルバムっていうのだけじゃなくて、今回のFUNKOTと日本語ラップとの邂逅のような異種交配を繰り返していきたいと思ってます。リアル脱出ゲームというの自分自身で体と頭を使って謎を解く遊びが流行っていて、→るんですが、その謎解きの仕掛けにラップを使う、#QRAPEDという企画盤を近々リリースすることになってます。FUNKOTも謎解きも共通しているのが、「自分が本当に面白いと思っているもの」で、それらに関わるためには全力で何でもやりたいと思っています。FUNKOTシーンも、今回自分が参加したことでもっと盛り上がって欲しいし、自分のファンにもFUNKOTを聞いてヤバイと思って欲しいし、逆にFUNKOTのファンには俺のラップをもっと聞いて欲しいです。自分はラッパーで、DJでもFUNKOTのトラックを作るわけではないのでFUNKOTシーンの中心にはいけないと思うんです。だけど一番外側で、その外側を広げる仕事はできると思っていますのでそれをもっとやらせて欲しいし、もっと都合良く使って欲しいです。ラップが必要な時はすぐ俺に連絡下さい。
‐おれはやるよと。
抹 そうですね。今後の展望をまとまとめると、面白おじさんになる、ですね。
‐最後に言い残したことはありますか?
抹 「Enaker's High」のことなんですけど、この曲はみんなの曲というのもあるんですが、俺にとって悲願の1曲です。実はEnaker's High制作以前に完成しているshisotexさんとの未発表のFUNKOT&RAPの楽曲もあるんですが、でも俺の中でFUNKOTのDJといえば高野政所a.k.a. DJ JET BARONっていうのは揺るぎなくて、その人が作ったビートに乗りたいという思いを秘めてFUNKOTシーンで遊んでいました。何度も「やらして下さいよ~」って言っても何と無くはぐらかされてたんですけど、
‐(笑)。
抹 それがいきなりオフィシャルで、しかもリード曲やらしていただいて、感無量です。気持ち入ってるおかげでめちゃくちゃかっこいいのでめちゃくちゃ買って下さい。
‐目標は何位ぐらい?
抹 1位でしょ。。。。1位、、、うん。
‐(笑)。
抹 え?え?ちょっと待って、現実的なところだと何位ぐらいいけそうなんですか?
‐いや、抹さんが1位って言うんだから1位ですよ。
抹 1位ィィィィィ、とりたいですねぇ。
‐『FUNKOT ANTHEM - EP』は総合で3位だったんですよ。
抹 総合3位ってちょー凄いっすね!総合3位かー。
‐チャートが上から、レ・ミゼラブル、いきものがかり、FUNKOT ANTHEM、少女時代。
抹 おかしいでしょ、そのチャート!まぁ、『Enaker's High EP』もまた一つ現在のFUNKOTシーンが今どれぐらいなのかっていう指標になるんじゃないかなって思ってます。初動でドカンといかなくてもこの曲は絶対にアンセムなんで、来年の今頃にはFUNKOTERなら当然FUNKOT ANTHEMとEnaker's Highは歌えるでしょっていう風にはなっていたいですね。っていうかなってますね、絶対。
(6月20日青山 ユニバーサル ミュージックにて)
(前半のVol.1はこちら)
しかしそんなにすぐには世間が認めるほど甘くはなかった。
そんな中で彼はどのように進んでいき、アイドルEspesiaと仕事をし、
そしてFUNKOTに出会ったのか?インタビュー後編です!
‐大学を辞めた理由は?
抹 その学部、別に音楽は関係なかったんです(笑)。
‐(笑)。
抹 ただ、その時の友達は今だに仲良い奴が多いですね。ひょんなことからまた繋がったりしてますし。
‐大学に抹さんに必要なものはあまりなかったんですね。
抹 なかったですね。プラ板を曲げる事とかにあまり興味が持てなくて、あと、手先が不器用で向いてなかったんですよね、芸術学部。アーティスティックな人間じゃないですしね。だから単に進路選択ミスったなという気持ちもあります。
‐大学辞めた頃はまだ1人で活動されてたんですか?
抹 ネットにラップ投稿はしていて、大学1年の時にネットで知り合ったやつと初めてユニットを組みました。
‐ユニット名は?
普通/FUTOO |
抹 「普通/FUTOO」です。遊びみたいに活動してたんですけど、そこからさらに数年後の21才ぐらいの時にPentaphonicというグループを結成したんです。普通/FUTOOとluckydipというグループを合体させた5人組で、それはかなり本格的に音楽活動をしていましたね。Pentaphonicやってた頃は、コンテンツをちょっと制限するという意味合いも込めてネットへの投稿をやめたりとか、年間110本ぐらいライブもやってました。
‐その数は凄いですね。グループとしてはどういう内容の音楽でした?
抹 4MC+1DJで、ポップなことをやっていましたね。
‐初めて出会ったRIP SLYMEのように?
抹 まさにRIP SLYMEでした。あとは、FUNKY MONKEY BABYSのような熱いメッセージ性だったり。「本当に上手いラップでポップ・カルチャーに殴り込む」というコンセプトで活動してました。実際メンバーはみんなラップが上手かったんですし、その上でただラップが上手いだけじゃダメだという感覚も常に持っていました。
‐CDリリースもしてたんですよね?
抹 ミニアルバム1枚、シングル3枚、12ヶ月連続でiTunesで新曲リリースもしてました。あとは佐々木希さんにfeat.したり、「実況パワフルプロ野球」の仕事もしてました。
‐その佐々木希さんとパワプロのきっかけは何だったんですか?
抹 パワプロは、大田区出身アーティストと大田区の工場であるとか商工会で組んだバンドを繋げるというイベントがきっかけになってます。そこに大事MANブラザーズバンドのキーボードの人が出ていて、僕らのライブを見てポップで可愛いいラップできるグループがいるなという認識を持ってくれてたみたいで。で、その方がKONAMIと繋がりがあって、「ゲームのオープニングでラップできる子を探してるんだけど君たちどう?」って言われて何のゲームかわからず呼ばれたんです。
‐まぁいってみるかと。
Pentaphonic |
‐「そのゲーム知ってるー!」(笑)。
抹 佐々木希さんの企画も同じ展開で、SONY MUSICのSD事業部の方に声をかけて頂いたんです。SD事業部主催のオーディションに何回か出させて頂いて、そこでは何もなかったんですけど、佐々木希さんのA&Rの方に見てもらっていて、「Pentaphonicさんもし良かったら何月何日にSONYに来て下さい」と連絡があって、なんか怖いなー変な話なのかなーと思って行ったら・・・。「佐々木希ニューシングル客演ご快諾ありがとうございます」って、着席した時点でやることが決まってて(笑)。まとめるとこの2つは人の縁と運によって引き寄せられたものなんだなと思いますね。
‐パワプロでは具体的には何をやったんですか?
抹 2011年オープニングテーマの作詞とラップパートの歌唱ですね。クレジットとしてはフィーチャリング表記なんですけど、基本的に作詞面の制作は全部僕らがやらせて頂きました。
‐佐々木希さんのほうは?
抹 森高千里さんの「ジンジンジングルベル」のアレンジだったんですけど、原曲のサビを活かしながら全部作詞やってという感じですね。
‐ラップは佐々木希さん?
抹 と僕らですね。僕は日本で唯一佐々木希さんとラップで掛け合いをやった人間なんです
‐(笑)。それ以降もないんですね。
抹 ないはずですね。日本で僕だけですね。
‐(笑)。レコーディングは一緒だったんですか?
抹 はい。
‐どうでしたか生の希は?
抹 いい匂いがしました(笑)。ちなみにレコーディングの時、年が近いという理由で僕らと佐々木さんは同じ待機室をあてがわれたんですよ。同じ部屋にいるんでお喋りするんですけど、凄い気さくな子で、礼儀も正しくて。で、お話してたんですが、僕らラッパーは全員目見ないで喋ってましたね、可愛いすぎて。
‐(笑)。
抹 見れないですねー。マネージャーさんいるし、変な発言したらマズイんじゃないかなって。ちょうど佐々木さんがセブンイレブンの冷やし中華を食べてて「そういうの食べるんですね」とかそういう話しかしてないですね(笑)。
‐それを聞くのでさえもマズイかなとか思ったりとか?
抹 はい(笑)。そしたら「私、家にいる時はチキンラーメンしか食べないんですよ」っておっしゃてて、いや、いや、いや、それでそのプロポーション維持できないでしょって思ったり(笑)。でもホント礼儀正しくて、可愛くて、無敵なんだなぁと思いましたね。神様っているんだなぁって。
‐なるほど。Pentaphonicとして活動を続ける中で反響とかはありました?
抹 そうですね、一番最初のアルバムは結構売れました。ただ主観的な話にはなるんですが、もう1歩行きそびれた感じですね。
‐行きそびれたというのは?
抹 やっぱり大きいところに行けなかったという気持ちが強いですね。それすらも結果論でしか語られないことが悔しいですね。あの時のベストは尽くしてましたけど。
Pentaphobic |
抹 そうですね。いろいろあって脱退しました。
‐その後はずっとソロですか?
抹 脱退したのが2012年末で、そこから今まで、抹 a.k.a. ナンブヒトシとしてソロで活動してます。
‐ちなみになぜ抹茶の抹なんですか?
抹 「高松」というのが本名なんですけど、この文字で活動してる人が既にいたんですよね。なので抹茶の抹にしたんだと思います。
‐ナンブヒトシは?
抹 僕の家の近所に南部屋(なんぶや)というスーパーと、もう1つイコールというスーパーがあって、その間に実家があるんで、南部とイコールをくっつけてさらに言い換えてナンブヒトシ(等しい)にしました。
‐ソロ活動の中でいろいろ出されてはいますが、アイドルのEspeciaと共演されて、feat.でラップもされていますがきっかけは何だったんでしょうか?
抹 EspeciaのメインプロデューサーのSchtein & Longer横山が僕の大学の同期とクルージングのパーティーをやっていたんです。そこにPentaphonicでお呼ばれして、Schtein & Longer横山とリンクしたんです。そこから数年間疎遠になってたんですけど、俺がソロになったタイミングで彼がEspeciaを手がけることになって。1st album完売御礼でフリーダウンロードの何かを出したいと思った時に俺のことを思い出してくれて大学の同期づてで連絡が来たんです。その連絡をしてきた同期がEspeciaの作詞をやってるmircoで、という大学時代の伏線回収的つながりですね。先述のクルージングというのが、今度政所さんも出演するクルージングイベントを開催している船だったりもして。
‐アイドルファン的には、急に男が出てきたら引いちゃうんじゃないですか?
抹 なんか引かれなかったんですよね。たぶんなんですけど、俺がデブだからじゃないですかね(笑)。
‐(笑)。「こいつは大丈夫だ」、と。
抹 あとはTwitterがインターネット臭いからじゃないですかね。絶対大丈夫と思って頂いてるみたいで(笑)。個人的にはEspeciaの女の子達よりも制作チームとフィーリングがあうところがあって、Schtein & Longer横山、最近MINMIさんのPVを手がけたホンマカズキ、mircoちゃん、ギターのサックワイルド、サックスのチー君、みんな同い年で、同じコジレ方をしていて。Especiaのファンの方ってEspeciaが可愛い、頑張ってる姿や歌がいいっていうのと同時に裏方のハチャメチャさについてこれてる人達がファンになってる気がするんです。だから彼らとフィールできてる俺のことも嫌悪感なく受け入れて貰えてるのかなと思っています。
「あと、、俺自身がアイドルなんで。」 |
あと、、、、俺自身がアイドルなんで。
‐。。。。。?
抹 ごめんなさい、なんでもないです。
‐(爆笑)。アイドルと一緒にライブやるのは楽しいものですか?
抹 楽しいですし何より勉強になります。アイドルって白鳥みたいなもんで、何百、何千時間の努力の結果で1つの笑顔を見せる。常に完成品を提示してるんですよ。自分の主戦場のラップの現場ではそうではなくて、どっちかっていうとバイブスだったり、雰囲気や空気っていうパーツパーツをその場で見つけてその場で積み上げて高い塔を作るっていうライブをしていると思います。でも、アイドルはいきなり高い塔をみせて、凄いでしょこの塔ヤバイでしょ、っていうライブをしているように思っていて。とても勉強になります。あとアイドルってアンチが出がちじゃないですか。
Especia |
‐どうしても出てきちゃいますよね。
抹 これ、誤解を恐れずに言うんですけど、アイドルは、数多くいるエンターテイナーやミュージシャンの中でかなり努力してる部類だとEspeciaと一緒にやらして頂いて思いました。思ったよりチャラチャラしてねーぞ、って。
‐表も裏も見てますもんね。
抹 なので仕事させて頂いて良かったなーって思いますね。
‐Especiaとの活動も続けるなか、どこでFUNKOTと出会ったんですか?
抹 KAZUHIRO ABOさんが俺とFUNKOTを繋げてくれました。でもその前にお話ししないといけないのがABOさんが俺とアシパンを繋げてくれた事で。ABOさんとPentaphonicで2012年10月に「Party Holic」という曲をリリースをしていて、その時にやたらABOさんとウマがあって、アシパンに来いってずっと言われていたんです。Pentaphonicを脱退した2012年末にどうすっぺ、もう音楽辞めようかなと、精神的にも疲弊してて音楽無理かなと思ったんです。で、辞めたっていう連絡をABOさんにしたら、「このタイミングでアシパン来いよ、アシパンはどんなハチャメチャなやつでも受け入れてくれる箱だからお前も大丈夫だよ、政所さんも紹介するから」って言われてアシパンに流れ着きました。それがB.B.BというABOさんが主催しているパーティーの第1回目だったんです。その時に政所さんのDJプレイを初めて聞いてFUNKOTに触れましたね。
‐それまでは知らなかったんですか?
抹 周りの仲間でタマフルを聞いてる奴がいて、なんかやベーのあるぞって政所さんのブートのREMIXを聞かされたりしたんですが、当時は理解できなかったですね。
‐よくわからなかったと。
抹 その理由は今となっては分かってて。パソコンのスピーカーで、ブートの音質で、落ち着いた状態で、家で4分とか聞いても伝わんなかったんでしょうね。
‐オリジナルを作るようになった今と違って無理矢理ボーカル抜いて特にマスタリングもしていない時なので音質は悪かったですね。
抹 ローが凄い大事だし、パーティーの音楽だと思うんです。なのでハウスリスニングだけだったその頃まではFUNKOTってよくわからないやつだって思ってたんですけど政所さんのプレイを聞いて分かっちゃったんですよね。
‐体験してみてですね。
抹 ただ、初体験の日はよくわかんなかったんですよね。でも次の時にはすげー楽しいってわかってましたね、最高だろこれって。それで政所さんに押しかけるようにサイドキックさせて下さいって言ったんですが、最初は政所さんもたぶんそんなに受け入れてくれてなくて、顔つき的に。でも何回かそれをやらしてもらう中で政所さんに「抹君、今日さぁこういうのかけると思うんだけど、こういう感じでやろうよ」って言われて。既にFUNKOTにはまってた俺は日本のFUNKOTの象徴的な人に認められた!嬉しい!っていう気持ちがありましたね。
‐2013年11月にはMEGA DUGEMのvol.1に出演されましたね。
抹 hayabusa feat. 抹 a.k.a. ナンブヒトシとして出してもらいました。あの時はライブとかじゃなくて完全にサイドキックとしての出演でしたね。あの場で披露できる曲も1つもなかったですからね。そのhayabusaとの出会いもABOさん経由です。Tokyo Crown(hayabusaとsoloistのB2Bユニット)をあの人がブッキングして、こいつらすげーって思って年も近かったんですぐ話しかけて、その日の内にサイドキックしてました。
‐MEGA DUGEM vol.1はいかがでした?
抹 FUNKOTのヤバさを認識した日でしたね。主観的にヤバイっていうのは自分ではわかるじゃないですか。これをヤバイと思ってるのは俺とか政所さんとかの周りだけなんじゃないかなって思ってたんですけど、でもMEGA DUGEM vol.1とその告知のためにDOMMUNEに出てみて、凄いウネリの中にいたんだなって思いましたし、めちゃめちゃ反響もあって楽しかったですね。DOMMUNEが終わった後、宇川さんに「こんなになってるDOMMUNEはあんまりないね」って仰って頂いたんですけど、想像とか常識を曲げる力をFUNKOTはもってるんだなと思いましたね。
‐そういうFUNKOTやMEGA DUGEMへの思いをこめた曲「Enaker's High」の歌詞やタイトルを今回考えて頂いましたが。
抹 バースの中でも言ってるんですけど、もっとだろ、まだ足りないだろ、もっとヤバくなれるだろうっていう気持ちで書きましたね。FUNKOTのシーンではなくお客さんと俺達はもっとヤバくなれるだろうっていう気持ちを込めて書きました。可能性はまだまだあるし、俺達の脳みそはもっと脳内麻薬を出してくれるはずだ、その結果年老いる前に枯れてもいいだろうって思ってます。あとは国産FUNKOTのみんなの歌、「FUNKOT ANTHEM」以上のみんなの歌を作ろうという気持ちで作りました。僕、今日のインタビューの前に「Enaker's High」の作詞テキストを見直してきたんですけど、1行目に打倒FUNKOT ANTHEMって書いてありました。そのために必要なことを凄い考えて、一番最初出てきたのはDugem Risingであったり各地のパーティーに参加してる人達の顔だったんです。その人達のことを歌うべきだって。「FUNKOT ANTHEM」は日本にFUNKOTが到来したことに気付いて欲しいっていう外に向けた曲だと認識してるんですけど、外にベクトルが向く曲があるんだったら、今起こっていることを歌ったものがあってもいいのかなって。あとは今日のDUGEMで起きた事を残しておく日記みたいな、あの時こうだったよねってみんなで話せるものにしたいって意識もありました。だから歌詞の中で、「これ俺のことだろ」って思うお客さんがいると思いますし、その場合100%あなたのことです(笑)。MEGA DUGEM vol.1で作られたNEW ENAKステッカーに掲載されてるDJチームの名前も全部込めましたし、やっぱりみんなの歌ですね。
‐今後の展望は?
抹 例えば自分の、抹のアルバムっていうのだけじゃなくて、今回のFUNKOTと日本語ラップとの邂逅のような異種交配を繰り返していきたいと思ってます。リアル脱出ゲームというの自分自身で体と頭を使って謎を解く遊びが流行っていて、→るんですが、その謎解きの仕掛けにラップを使う、#QRAPEDという企画盤を近々リリースすることになってます。FUNKOTも謎解きも共通しているのが、「自分が本当に面白いと思っているもの」で、それらに関わるためには全力で何でもやりたいと思っています。FUNKOTシーンも、今回自分が参加したことでもっと盛り上がって欲しいし、自分のファンにもFUNKOTを聞いてヤバイと思って欲しいし、逆にFUNKOTのファンには俺のラップをもっと聞いて欲しいです。自分はラッパーで、DJでもFUNKOTのトラックを作るわけではないのでFUNKOTシーンの中心にはいけないと思うんです。だけど一番外側で、その外側を広げる仕事はできると思っていますのでそれをもっとやらせて欲しいし、もっと都合良く使って欲しいです。ラップが必要な時はすぐ俺に連絡下さい。
‐おれはやるよと。
抹 そうですね。今後の展望をまとまとめると、面白おじさんになる、ですね。
‐最後に言い残したことはありますか?
抹 「Enaker's High」のことなんですけど、この曲はみんなの曲というのもあるんですが、俺にとって悲願の1曲です。実はEnaker's High制作以前に完成しているshisotexさんとの未発表のFUNKOT&RAPの楽曲もあるんですが、でも俺の中でFUNKOTのDJといえば高野政所a.k.a. DJ JET BARONっていうのは揺るぎなくて、その人が作ったビートに乗りたいという思いを秘めてFUNKOTシーンで遊んでいました。何度も「やらして下さいよ~」って言っても何と無くはぐらかされてたんですけど、
‐(笑)。
抹 それがいきなりオフィシャルで、しかもリード曲やらしていただいて、感無量です。気持ち入ってるおかげでめちゃくちゃかっこいいのでめちゃくちゃ買って下さい。
‐目標は何位ぐらい?
抹 1位でしょ。。。。1位、、、うん。
‐(笑)。
抹 え?え?ちょっと待って、現実的なところだと何位ぐらいいけそうなんですか?
‐いや、抹さんが1位って言うんだから1位ですよ。
抹 1位ィィィィィ、とりたいですねぇ。
‐『FUNKOT ANTHEM - EP』は総合で3位だったんですよ。
抹 総合3位ってちょー凄いっすね!総合3位かー。
『Funkot Anthem』iTunes総合3位 |
‐チャートが上から、レ・ミゼラブル、いきものがかり、FUNKOT ANTHEM、少女時代。
抹 おかしいでしょ、そのチャート!まぁ、『Enaker's High EP』もまた一つ現在のFUNKOTシーンが今どれぐらいなのかっていう指標になるんじゃないかなって思ってます。初動でドカンといかなくてもこの曲は絶対にアンセムなんで、来年の今頃にはFUNKOTERなら当然FUNKOT ANTHEMとEnaker's Highは歌えるでしょっていう風にはなっていたいですね。っていうかなってますね、絶対。
(6月20日青山 ユニバーサル ミュージックにて)
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