まずはM3終わっての感想とshisotex、Jockie “Mastabass” Suama両氏の音楽遍歴、そしていかにしてFUNKOTと出会ったのかについて語って頂きました。
‐M3(音系・メディアミックス同人即売会)の終わりにお時間頂きありがとうございます。M3はいかがでしたか?
M3でのshiso recordsの様子 |
shisotex ぼちぼちではあるんですけど。今日は台風がやってくるという事前の情報もあってか、M3自体の人の入りが少なかったので、いつもよりは、はけてないかなって感じです。
Suama 買う人は、常連の人が買うっていうのは決まってて、好きな人は毎回来てくれて、新譜を全部買ってくれるので固定の人はついてくれているかなと思います。
Soloist 今回、僕は新しいCDを出したんですよ。来てくれるお客さんはシソさんとスアマさんのCDに加えて僕のも手にとってくれたりして、シソさんスアマさんのだからというよりFUNKOTだからっていうのがあるんですかね。
‐誰かがTwitterでShiso Records(Shisotexのレーベル)のブースの写真を上げていましたけど、かなりCDの種類がありましたね。
shisotex なかなか机の上にのりきらない感じでしたね。
Suama 旧譜を合わせると置き場所がなくなるから次からどうしようっていう(笑)
‐KazuyaPさんも今回は参加されていたということですが、いかがでした?
KazuyaP そんなに数を用意してなかったんですけど、用意した分は全部はけたんでよかったかなぁっていうか、サークル参加自体が初なんで、良かったのか悪かったのか判断つかない部分もあるんですけどね。
‐完売だったらいいことじゃないですか?
KazuyaP そうですね、良かったですかね。
shisotex この男は告知も何もしないし、凄いひっそりとやるから。
Suama 前日ぐらいに、サークルでなんか出すの?ってこっちから聞いて
KazuyaP レア・トラック感を出したいだけなんだけどね。
一同 (笑)
KazuyaP 俺しか持ってねぇ!みたいな
Soloist あれはREMIXテーマがいい感じだったよね。凄いよかった
‐どういうテーマだったんですか?
KazuyaP なんだろう。
Soloist 現地曲が2曲とみんながわかる曲が1曲で、
Suama あっちで流行っている曲。
shisotex 向こうで大流行しているDangdutと、向こうでヒットしている歌謡曲と、あとは全世界みんなが知ってるある曲。
‐みんなが知ってる「何か」ですね?
shisotex それは今日来ないとわからないんですよね。
Suama どうしても聞きたかったらKazuyaPのDJを聞くしかないですね。
‐それではお1人ずつ色々をお伺いさせてください。 まずshisotexさんからお聞きしたいんですが、お名前の由来は何でしょうか?
shisotex |
shisotex 匿名の掲示板で紫蘇にまつわるキャラクターがいまして、そこから最初shisoworldって名乗ってたんです。その後にshisoworldをやめて、その時に色々変なもんとか作ってたりしたんですけど、そこからshisotexになったんですが、そこがちょっと思い出せないんですよ。なんでTEXを付けたのかっていうのも。今ちょっと後悔してるんです。
‐自分でも意味がわかならないんですね。
shisotex 意味がわかんないと。
Soloist shisoworldはTWITTERのアカウント名とかに残ってますよね。
shisotex 何でこれにしたのか、何でShiso Recordsという安直なレーベル名にしちゃったのかっていうのもわかんないですし。若干、ネーミングに関しては後悔だらけです。
‐ちなみにFUNKOT以前はどんな音楽をやられていたんでしょうか?
shisotex 色々やってたんですけど、FUNKOTになる直前はAmbientとかElectronicaとかをやってました。
‐いきなりAmbientってなかなかいかないジャンルだと思うんですけど、なんでそこに行ったんですか?
shisotex なんだろ、AmbientとかElectronicaは昔から割と好きではあったんですよ。それこそAphex Twinの『AMBIENT WORKS』とか昔から聞いてたりしたし、
Suama 定番のね。
shisotex 結構聞いてはいたんですよ。それこそ、その前はEuphoric TranceとかProgressive houseとかを好んで聞いてたりしました。Progressive
houseって結構、アーバンな感じがするっていうか、落ち着いた感じで。4つ打ち系の音楽の中でもかなりチルな感じで、そこから落ち着いた音楽を好むようになって、一時期Post RockとかShoegazerとかも聞いてましたし。
‐そこからFUNKOTにいくというのは音として真反対だと思うんですが?
shisotex そうですね、良く言われますね。最初、知人からFUNKOTの動画を教えてもらったんです。
‐ちなみに、いつ頃ですか?
shisotex 2010年の初頭、1月とか2月とかその辺ですね。それぐらいの時で、当時タマフル(TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」)でも紹介されてはいたんですけど、僕はそれは知らなくて、知人に教えてもらったリンク先に上がってたGROOVE1っていう、FUNKOTERSの中ではレンバンっていわれるメロディーを聞いて凄い衝撃を受けたんです、これはヤバい音楽だと。
Soloist どっちかっていうと落ち着いたメロディーの、
shisotex そうなんです。あれで完全に脳が焼き切れちゃって。それがきっかけですね。あの当時だとレンバンを聞いて入ってきた人は多いと思いますね
Suama ラジオで紹介された曲もレンバンだったしね。
‐ではSuamaさんにお伺いしたいんですが、お名前の由来は?
Jockie “Mastabass” Suama |
Suama まずSuamaっていうのはFUNKOTやる以前もDJやってたんですけど、その時からSuamaっていう名前を使ってたんです。由来としてはよくある感じなんですが、ゲームのキャラに付ける名前とかに使ってて。当時流行ってたmixiとかのハンドルネームもSuamaって名乗ってたんでDJネームもそのままSuamaにしたんです。
で、FUNKOTをやり始めた時に、今までと違うジャンルをやるからちょっと名前を変えてガラッとイメチェンをしたいなって政所さんに相談した時、伝説のDJのJockie Saputraっていう人がいるんですが、彼の通り名がJockie “Dr. Beat” Saputraだったので、そういうのが欲しいって政所さんと一緒に考えて、、、そのぉ、あまり大きな声で言えないんですが、、、政所さんから「マスターベーションは好きか?」って聞かれて(笑)、あぁ好きですよって言ったところから「じゃぁMASTABASSでいいな」って言われて
一同 (爆笑)
Suama (笑)そのままJockie “Mastabass” Suamaになりました。FUNKOTってちょうどベースミュージックだから、知らない人にしたらMastabassって聞いたら、
‐かっこいいですよね。Mastabassってきいたら、尊師ぐらいのイメージですよ。
一同 (笑)
Suama 周りにもインパクト与えられるからいいなっていうのと、Jockie “Dr. Beat” Saputraっていうのと並びも近いし、リスペクトを込めてっていうので。FUNKOTやっている中でも、DJじゃなくてJOCKIEって日本で付いているのは自分だけだから、それだけで目立てるっていう魂胆もありまして(笑)
‐さっきおっしゃってたFUNKOT以前にやっていたDJではどんなジャンルをかけていたんですか?
Suama もともと聞いてた音楽が、Hardcore technoとかTranceとかDancemaniaとかのコンピレーションであるような、オールジャンルでダンスものを聞いてて、そこからHardcoreのDJをやったり、イベントに出るときは、当時中田ヤスタカのブームが来てたこともあって、Techno PopのDJもやってたんです。
‐どこらへんでDJはやってたんですか?
Suama 若手DJのイベントでSTEP.っていうのが都内であって、そこからがスタートですね。オールジャンルのイベントでこれからDJ始めるっていう若者がやったイベントです。
‐今は秋田在住ですが、当時は関東に住まれてたんですか?
Suama 当時は茅ヶ崎に住んでました。
‐それで、いつFUNKOTに出会うことになるんでしょうか?
Suama FUNKOTっていう言葉は知らなかったんですが、色んなダンスミュージックが好きで、ネットにあるようなものをとにかく集めてたんです。で、ある日mixiで政所さんが、Funky
Kota(*Funkotの当時の呼び方)っていうコミュニティーを作ったよっていうのを聞いて、
‐その時には高野政所という人は知ってたんですか?
Suama 名前は知ってて、イベントで出ているのも何回か見ていることもあって、
‐それは政所さんがレオパルドンの時?
Suama そうですね。それでその時のmixiのコミュニティーを作った高野政所っていう人はレオパルドンの高野政所とは違う人だと思ってたんですよ(笑)。当時、レオパルドンは知ってたんですが、メンバーの名前までは知らなくて。で、そのコミュニティーを紹介してもらって、動画を見た時に、「あれ、なんかこれ聞いたことあんな」って思って、自分のパソコンの中のデータを見たら同じ曲がたまたまあって。おそらく当時の政所さんと僕が集めていたところが一緒だったのか、他にも被っているものがあったんです。それで、これはFunky Kotaっていうんだってなって知りました。
‐それはタマフルでFUNKOTを政所さんが紹介した後ですか?
Suama いや、前ですね。それで、FUNKOTのDJをやってみようってなって、MIXをつくってコミュニティーにUPしてたら、政所さんからFUNKOTのイベントをやりたいっていう連絡を頂いてやることになったんです。その時は今のようなクオリティのものではなくて、見よう見まねで作った曲をUPしてたんですが、曲を作ってMIXもできるんだったら一緒にイベントやってみようっていうことになったんです。それでDUGEM RISINGの前にS.T.D.K.(Sound of Tropical
Disco Krew)っていう二人組でイベントをやり始めたんですよ。
‐そのイベントの最初は「ファンキー・コタ祭り」でしたっけ?
Suama そうですね、一番最初は「夏のファンキー・コタ祭り」とかって感じのタイトルだったと思います。
‐その最初のイベントではお客さんはどれぐらい集まったんですか?
Suama 初めてだったんですが、何人かはいましたね。それを何回かやってて、タマフルに政所さんが出る前だったから、まだ広まってはいないんです、だたやってるってだけでした。お客さんも全然来ないっていう時もあったし、
‐アシパン(*acid
panda café)がまだ自由が丘の時ですよね。その時のお客さんはFUNKOTなんて全く知らなかったと思いますが、お客さんの反応はどうだったんでしょうか?
Suama 最初は政所さんの知り合いもいたからか、反応はよくて、知らない音楽なんでみんな新鮮な気持ちだったと思います。来てくれる人は素直に楽しんでる雰囲気でした。
‐最初にDJとしてFUNKOTをかけた時のことは覚えていますか?
Suama その時のDJは緊張しました。正直なこと言うと政所さんは恐い人って思ってたっていうのもあるんですが
一同 (笑)
‐イベントの以前にはお会いしたことはあったんですか?
Suama いえ、イベントの日が初対面で。レオパルドンのイメージも、ナードコアの後にHIP HOPをやっていた時期で、ちょっと恐いなっていうイメージがあったので、イベントもビクビクしながらやってて。
‐でもやってみたら楽しかったんですか?
Suama そうですね、かける曲も楽しい曲なんで、お客さんも楽しんでくれてて一安心でした。
Vol2に続く。
*M3で発売していたCDの情報は以下のURLからご覧いただけます。
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