インタビュ-

2013年10月6日日曜日

高野政所×hayabusaの主催者インタビュー vo.1


「Mega Dugem - Spirit Of Funkot -」の主催者高野政所(a.k.a. DJ JET BARON)とhayabusaのインタビューをお届けします!
インタビューの文字量は全部で約16.000字なりましたが、今回は主催者のhayabusaがなぜFUNKOTのDJになったのか、そしてMega Dugem開催を決めることになる大阪のイベントまでを語ります!











-まずお聞きしたいのですが、hayabusaさんとFUNKOTの出会いは?

hayabusa
元々HIP HOPのDJをしていたんですよ。大阪のミナミのほうで。まぁ色々ありましてこのままHIP HOPをやっててもどうしようもないなという時に、大阪の本町にNuoohっていうクラブがあったんですよ。今でいうJUKEを持ってきたD.J.Fulltonoさんとか、オカダダさんとかtofubeatsさんとか、今のメインのシーンで一番面白いっていうような人達が集まっていたようなクラブで、そこで回す機会をもらったんです。その時に、今までやってたHIP HOPだと、通用もしないし、他のヤバい音楽ないかなと探してた時に、自分が言ってた大学でいとうせいこうさんの授業を受けていたんですが、そこで宇多丸さんのラジオ(*TBSラジオ 「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」以下タマフル)にいとうさんが出て対談すると聞いたんです。元々関西では聞けないんですが、なんとかして聞き始めた時にFUNKOTに出会っちゃったんですよね。ラジオから聞こえて来ちゃいまして。

-ちなみにどんなHIP HOPのDJだったんですか?

hayabusa どんなアーティストが好きだったかと言うと、Madlibとか、ちょっとジャジーな     ものというか。あとはOld School HIP HOPのDJもしてました。

-そういうジャンルのDJだと自分自身で限界を感じてたんですか?


hayabusa その時は楽しければ良かったんです。DJに憧れをもって初めていたんで、好きな音楽を好きな感じで回せたらいいなって感じだったんですけど、それも色々あってやることが難しくなってきちゃって。

-そんな時にタマフルで特集されたFUNKOTに出会ったと。その時は政所さんが登場した1回目のやつですか?


hayabusa そうですね。

政所 たまたまなんだね(笑)

hayabusa たまたまですね(笑) 学校の授業でいとうせいこうさんから宇多丸さんと番組で対談することを聞いて、まぁ宇多丸さんも好きだし聞いてみようかなぁ、みたいな感じで。で、初めて聞いた時に偶然FUNKOTと出会っちゃったんです。

政所 なるほど、そんな感じだったんだ。

-最初聞いた印象はぶっちゃっけどうでした?


hayabusa 単純にこれヤバイなっていうのしかなかったです。 他の人がそのまま聞いちゃうと他の音楽との落差というか、端的にダサいと思っちゃうと思うんですが、

-半笑いのような。

hayabusa そうですね。ただ、その時にミナミのNuoohっていう場所が新しい音楽ばっかりかかってたんです。Juke、Drumstepとか。当時は名前も知らないけど、全部浴びれてたんです。今までHIP HOPのサンプリングをしてっていう音楽しか聞いてこなかったんですけど、Nuoohに入った瞬間にGABA、Hardcore Techno、Nerdcore、Dubstep、何でもあったんで色んな音楽を聞く耐性がついちゃったんです。で、この中で戦っていくには、ここでしか俺はDJできないから、と。

政所 あー、なるほどー

-政所さんが出演したタマフルを聞いたあとにすぐFUNKOTでDJやろうと思ったんですか?

hayabusa ちょっと間はありましたね。どうしよっかなっていうのはあって。それこそ最新の音楽に触れられる状態にあったので、どれが一番ヤバいかを探してました。もともと機能的な音楽が好きなんですよね。スタンスで言うと。

-アガるための音楽、踊るための音楽というような?


hayabusa そうですね。踊るための音楽として、機能的なものが好きでという意識が自分の中であって。そんな時に聴いたFUNKOTがHIP HOP的な解釈として聞こえてきたんですよ。自分のHIP HOPってどんなんだろうなって探してた時に、HIP HOPって基本ビートを抜いてサンプリングを抜いてという引きの音楽の面があるじゃないですか。じゃなくて、俺の中のサンプリングの音楽って、過度に足していく音楽なんじゃないかっていう結論にいたったんですよ。足すほうが一番ヤバいんじゃないかって。そうなった時にJUKEは曲短いじゃないですか。

政所 音は少ないよね。

hayabusa でもDJのプレイで、2枚使いとかMIX、Mash Upとかで重ねて情報量多くするじゃないですか。

政所 フィジカルなところでね。

hayabusa もともと、DMCとかのDVDを見てたっていう流れもあったんで。

政所 DJ HANGERとか?

hayabusa そうです。なんで、これまずヤバいなって。まぁその時これがJUKEか何かも判別は付いてなかったですど。名前もわからないなんかヤバいもの(笑)DubstepなのかGlitch Hopなのかも全然わからなかったですから。で、その時にFUNKOTは1曲の中に、情報量が多くはいっていて。

政所 確かに。

hayabusa じゃあ一番ヤバいのって、この情報量を多い音楽をフィジカルを使って情報量を多くしたら一番ヤバいんじゃないかっていうことに至ってFUNKOTを始めるようになりました。

-最初にFUNKOTをまわしたのもNuoohだったんですか?

hayabusa そうですね。

-曲は何をかけてたんですか?

hayabusa えっと、2011年に政所さん達が出した『PIONEER DI JEPANG』とか。あとはネットで探したりしてました。

-じゃあガッツリ現地ものも?

hayabusa やってましたね。

-最初のお客さんの反応はどうでした?

hayabusa 結構うけましたよ。

政所 いきなり受けた?

hayabusa いきなり受けましたね。その時のPlayを聴いてくれていたのがNumb'n'dubさんとかShakaItchiさんとか、そこらへんだったんですよ。

政所 ヤバい人たちっていう(笑)

hayabusa ヤバい人達が「ヤバい!」っていう反応だったんで、これはいけるでしょってなりました。

政所 理解してくれる土壌があったってのはね、凄い強いよね。

hayabusa あとは5364(*読みゴミムシ)さんがいたのがでかかったですね。

政所 あー5364君ね。

-5364さん?


政所 オカダタ君とかとDJやったりとか。まぁ関西の何でもまわす系だよね。京都だっけ。

hayabusa そうです、京都ですね。そんな彼がNuoohでバーカウンターをやってて、5364さんも現地の昔のFUNKOTの曲を持ってたんですね。なんか政所さんと一緒に堀りにいったって聞いたんですけど。

政所 あーあったかもしんないね。

hayabusa その時の曲ももらったんですよ。

政所 あーそうなんだ。

hayabusa なので5364さんがいたのもでかかったですね。

-自分がFUNKOTをまわすようになって、そのままFUNKOT人脈も広がったという感じですか?


hayabusa というよりも、そのままそこにいたって感じですね。

-なるほど。その後現在一緒に活動しているFUNKOT DJのRichiter(読み:リヒター)さんやTagosakuさんとどういう風に会うようになっていくんですか?

hayabusa 曲を作って僕からデモを送りました。鎮座Dopenessの「Mode」っていう曲があるんですけど、それをRemixして送ってみたんですよ。で、ダメ出しめっちゃもらってというのが最初ですね。そしたらRichiterさんから会いたいという話がきて、じゃあ神戸の(D:)ドライヴっていうイベントでキャン君がまわすからそこで一緒に遊びましょうよという形で、Richiterさんと出会ってというのが最初です。




-出会って、一番最初に一緒にFUNKOTのイベントやったのがいつですか?

hayabusa あれいつだったっけな。

政所 一回目だっけ?

hayabusa そうですね。その時は僕は客だったですよ。客でSoloistのDJを聞いてましたね。

-その当時からイベント名は「Dugem Di Barat」という名前でした?


hayabusa えっとイベントの名前はそうでしたね。ただ、チームではなかったです。で、イベントでSoloistとかのDJを聞いて。その時僕はFUNKOTの持ってる曲も少なかったから、現場によってはFUNKOTだけではまわせないという時もあったんです。ブレイクビート混ぜたりとか、ブレイクでDubstep混ぜたりとか。そうこうしている中で、これはFUNKOTだけやりたいし、そのほうがお客さんもヤバいことになるなと思って、それでFUNKOTだけまわすようになりました。

-それでDugem Di BaratがDJチームとして正式に設立して、hayabusaさんもチームに加わったという流れですか?


hayabusa チームに加わったというよりか、その時EKSTRAってイベントも並行してやってたんですよ。ゆるゆる好きな曲まわそうぜっていうような。京都にcafe la siestaっていうお店があるんですけど、そこで好きな曲まわそうぜっていう。それは3人でやってたんですよ。TagasakuさんとRichiterさんと。そのEKSTRAを始めた3人でせっかくだし関西でもFUNKOTのチーム作るしかないよねって始めたのが最初ですね。

-政所さんは関西にそういうチームがあるっていつぐらいから知ってました?


政所 FUNKOTをやり始めてから関西に初めて呼ばれたのは、アニメトロかな。5364君とかがFUNKOTに興味があるっていうので呼んでもらって、その時関西でもFUNKOTやってる人がいるんだよっていう話を色々聞いてたんですよ。それはRichiter君だったり、Tagosaku君だったり。実際京都のDugem Di Baratの一回目にいって、そこで関西のDJ達と繋がったっていう感じですね。東京からしたら関西は地理的に遠いじゃないですか、TBSラジオもはいんないし、それでもイベントを始めちゃってる奴がいるということは、これはただごとじゃないし、俺だけがヤバいと思っているわけじゃないし、この共感できてる感じはすげー嬉しいなと思って。だったら日本全国でチームができあがっていることだし、ここは手をとってMega Dugemをやろうと思ったんです。FUNKOTのイベントで最初に全国からDJ呼んだのがhayabusaが前にやったDugem Di Osakaとやつで、北海道から東京、京都のDJが集まってやったんですけど凄かったんですよ。好きなやつしかいなかったし。それを体験して、これはそろそろ東京のAcid Panda Café(以下アシパン)が初というか、日本で最初にFUNKOTだけのイベントやったところでもあるので、ちょっと大きなのをやって、全国のDJを呼んで、FUNKOTが今どこまで行けるとかというのを試すという意味でも、大きいイベントやんないとねって思ったんです。別名スーパーファンコッター大戦って俺たち呼んでます(笑)

-ということは政所さん的にはDugem Di Osakaに感化された感じですか?


政所 それはありますよね。先に大阪にやられちゃったなぁ、しかも若けぇやつにっていうのもあって(笑)。これは東京もしっかりしないといかんぞ、というところもあって。たまたま仕事の関係で、hayabusaが東京に引っ越してきて、これはちょっとやろうよっていう。東京でhayabusaもDJしてるし、他DJとかと話すと、ここで終わるのって違うよね、もっと広がるよねっていうので勝負をかけてみようと思い企画しました。

-その盛り上がったDugem Di Osakaはどういう感じだったんですか?


hayabusa 一人頭50分ぐらいで、何人呼んだんでしたっけ? 1,2、、、、8人?

政所 すげぇ早い時間からやってたよね。21時ぐらいOpenだったんじゃない? それで朝の5時ぐらいまでやってて。開始1時間ぐらいで半裸の男が現れて(笑)、シャンパンのボトルが飛び始めっていう、ちょっと他のクラブイベントでは見ないほどのアガリ方を見てしまって。こんな盛り上がりは他のジャンルでは味わえないし、来てるお客さんも様子がおかしいぐらいにブチ上がってるんで、自分がFUNKOTを日本でもってきたんですが、若い子たちが自分達でイベント初めて、俺がそこに呼ばれるようになるっていうのは第2章始まったなってそこで思ったんです。もし俺が事故で死んでもFUNKOTは続くなっていう確信がそこで持てたんですよ。DJもみんなFUNKOTでいいと思っている部分をちゃんと出してるし、ちゃんとわかってるプレイをみんながしてる。これはアンダーグラウンドの小さい部分だけど、魂というかそういうのが伝わったんだなっていうので物凄く嬉しかったんですよ。同じものが好きだっていう連帯感も生まれてるし、DJがあつまるとFUNKOTの話しかしないわけなんですよ、物凄い濃い話をして(笑)。これだけ力のあるものはここで止まるもんじゃないって思いました。

-Dugem Di Osakaに来ていたお客さんはどんな方だったんですか?

政所 凄かったのは全国からいろんな人が来たんですよ。例えば、

hayabusa 九州も来たし、東京からの遠征組み、北関東、茨城とか

政所 四国のほうからきたりとか

hayabusa その時、僕は東京に行くって決まってて、大阪のクラブシーンにはお世話になったし、その日に4つぐらい知り合いがイベントやってたんですよ。じゃあみんなで協力してって、5つのパーティーが提携したんですよ。そこから今までお世話になったL4Bっていうハウスのパーティーからもお客さんが来てくれたりとか、東京からの遠征組みがL4BにいってからDugem Di Osakaに行くみたいに流れてきてくれたのもあって、全国から色んな人が来てくれたというのもあるんですけど、そういう大阪の自分がお世話になってきた人達もみんな来てくれたんですよね。

-HOUSEのイベントのお客さん達の反応はどうだったんですか?


hayabusa 前からL4BみたいなハウスのパーティーにFUNKOTを持ちこんでプレイしてたんですよ。ミニマルテクノのイベントでもFUNKOTやってたり、アウェーはなんでもガツガツでましたね、それこそ大阪は風営法の締め付けで箱自体、音が出る箱でDJがまわせないという自体になってきて。

-ちょうど厳しい時期で

hayabusa そうですね。今ここでDJ続けられるのは本当に面白い人じゃないと残れないという状況で何か残さないというのもあって、がむしゃらに何でも出てましたね。HIP HOPだろうが、ベース・ミュージックのパーティーだろうが、ミニマルのパーティーだろうが。












===


Vo.2へ続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿