濃厚2万字インタビュー最後となるVol.3です!
Vol.1、Vol.2。
‐そんな中、いつFUNKOTに出会ったんですか?
ABO FUNKOTに出会ったのは、政所さんが「ヤバイのを見つけた!」というツイートをしたのをリアルタイムで見て、速効でネットでチェックしたら「うわー全部はいってる!」って思ったのが最初です。
‐自分の今までの音楽遍歴が全部入っていると感じたんですね。
ABO そうです。これは天狗でもなんでもないんですが、FUNKOTは全部入っているから最強なんだよって割と一般的な言説として定着したじゃないですか。でもたぶん僕は他の人よりもその表現に納得できる自信があるというか、説得力を持って言えるというか、自分の音楽遍歴との親和性が高いというか、もっというとすげーHOUSEだなと思ってるんです。型があり、型破りであったりとか、文化的な部分でディスコの徒弟制度とかがあったりとか、
‐それもまさにアボさんが青森でやっていたようなことですもんね。
ABO ちょうどその頃にブレイクビーツに何を乗っけるかっていうこと、テクノやHIP HOP
やドラムンベースやサイケトランスをどうやってミクスチャーしていくかっていうことをガキの頃からかれこれずーっと10年ぐらい考えてたので、うわーその手があったか!って手法の度肝を抜かれる感じで。これ重要な事だと思うから言いますが、FUNKOT以外の音楽を沢山広く深く知れば知る程FUNKOTはより一層楽しめるし、輝いて見えます。FUNKOTが最高だから他聴かなくていいやってのはもったいないです。
‐コロンブスの卵的な。
ABO あとはファンキービートっていうグルーヴが面白いなっていうところもあって、FUNKOTってアンサンブルの音楽だと思ったんですよ。
‐アンサンブルというと?
KAZUHIRO ABO |
‐ちなみにFUNKOTの中でもアボさんはBreak Funkをやられているわけですが、簡単に説明するとBreak
Funkどういうものですか?
ABO 言葉で説明すると「遅いFUNKOT」です。このジャンルは呼称がなかなか統一されないという問題があって。Break Funkっていうのもいくつかある呼称の一つなのですが、少し前にはProkot、Progressive Kotaとか呼ばれたりとか、あとはBreak Beatとか呼ばれてて。ただ人に伝えようといた時にBreak
Beatっていう単語が色んな意味を既に持っていて紛らわしいし、なによりSEO的な話、検索が出来ないということがあるので、その中からBreak Funkという呼称を選んで使っています。
‐Break FunkはFUNKOTのBPMが遅くなるダウンビートとはどうちがうんですか?
ABO 昔、FUNKOTって今ほど早くなくて、そういう意味ではオールドスクール回帰っていうところとか、そういうのもクラブ考古学的な感じで好きなんですけど。あとはさっき言ったFUNKOT特有のグルーヴっていうものに疾走感を感じていることもあると思うんですが、その疾走感を抜いた時に見えてくるインドネシア人のグルーヴっていうのが実はあって、遅くなればなるほど一拍と一拍の間が空くじゃないですか。それは一拍の解像度があがってるんですね。解像度を保ったまま画像をぐーっと拡大するイメージです。早いBPMだと通り過ぎるものが見えてくるのが凄い好きなんです。そこでインドネシア・グルーヴの癖に気づいたり、それを遅い状態でしばらく体感してからまた早い状態になることでより聴こえ方が変わってくるというか。そういう聴き方が体感として出来ると思うんです。
‐辛いカレーばっかりじゃなくて、甘いのを食べることでより味がわかるというか。
ABO スイカに塩じゃないですが、その方が味覚の解像度が上がると思うんです。BPMが遅いと見えてくるものはあるし、もっと言うと、僕がBreak Funkで好きなのは、FUNKOTを回すということ自体のアドバンテージがないからなんですよね。
‐といいますと?
ABO FUNKOTを回しているから盛り上がっている、っていうケースもあると思うんです。FUNKOTだから嬉しいみたいな。
‐今FUNKOTが来てるからこそですよね。
ABO そうです。そこで見てて、FUNKOT DJだからじゃなくて、それ以前の大文字の”DJ”としての力、基本的なDJとしての職能っていうのを発揮できるっていうのが僕がBreak Funkに拘る、今だからこそ拘る理由ですね。もちろんたまにいわゆる普通の早いFUNKOTをかけたいというものあって、フロアのタイミングがあればかけますが。
‐とはいえBreak Funkを聴いてほしいという思いがあるんですもんね。
ABO 超聴いてほしいです。最高のゲットーサウンドですよ。Break Funkを聴いてもらうことで、その人たちに見せられる腕というのもあって。もっと言うとBreak Funkがホームの現場っていうのは今日本には存在しない。Dugem
Risingですら、FUNKOTではないという意味ではアウェイです。つまり現状日本ではどこでかけてもアウェイな訳です。そこでばっちりフロアコントロールすることが、DJとしてアドレナリンがドバドバ出るところで。
‐BPM190ではわからない何かというものですね。
ABO あとは日本の若手のFUNKOT DJたちはとてもいいFUNKOT Djだと思うんですが、彼らはまだ若いんで、FUNKOT以前の問題で長くDJの経験を積んでいる人には見えてるんだけど、彼らには見えてないダンスフロアの機微みたいなものもまだまだ当然あって。ちなみに若手のFUNKOT DJだとTagosaku君が頭一つ抜けてそういうところ上手く感じます。
‐色んな現場を体験しているからこそ見えるものっていうのはありますよね。
ABO そういう今までに培ってきたスキルっていうのを、お客さんに先入観を与えずに、発揮させやすいのがBreak Funkかなと。現に、僕はインドネシアの現地経験も無いですが、昨年の年越しの時、本当に”DJ”としての基本的な職能をしっかりフル回転させたら、ちゃんとインドネシア人のお客さんは熱狂してくれました。凄く嬉しかったし、やったぜって気持ちもあったけど、それ以上に普遍的なDJの能力をちゃんと鍛えておくことが大事だって再認識する出来事でした。そうすれば普通に伝わるじゃん、と。ジャンル関係なく、良いDJであるためには普遍的に必要な感覚というか。
‐Mega Dugemに来るお客さんに向けてBreak Funkの曲で、この曲だけは聞いておいて下さいっていうのがあればご紹介頂けますか?
ABO DJ HERYっていう人のBreak Funkですね。一時期はダッチな感じだったんです。いわゆるプープーいってるダッチシンセをベンドさせるのが段々いき過ぎてきて、ダッチというよりか、アシッドに聞こえるという音の変化があって、その中でもベンドのさせ方が面白いのが、DJ HERYですね。
‐ちなみにMEGA DUGEMの第1回にアボさんはお客さんとして来られていたわけですが、いかがでした?
ABO MEGA DUGEMを見て、FUNKOTシーンを越えて、今のクラブシーンに毎月1回あの時間帯でああいう盛り上がり方をする、あの規模のパーティーがないといけないなと思いました。特定ジャンルの話ではなく、普遍的な話です。
‐FUNKOTという枠組み以前に、大きくクラブとしてというぐらい、アボさんから見ても盛り上がってたんですね。
ABO あれは理想形に近いです。あれでもうちょっといい感じのワルさとエロが入ってたら完璧。理想ですね。まぁそれだとだんだん日本ではやりづらくなるかもですが(笑)。離島とかでやるとか(笑)。逆に言うと、ああいう風な娯楽が日常に存在してそれを受け入れられる社会にならないと文化が痩せていくと思うんです。ある文化に対する寛容さとか、楽しむとかハジケルとか、心地よいとか、アガルということに対する寛容性が今は少ない社会になっていて、そういうところを肯定できる世の中にならないと、突き抜けたような人材とかってどの分野からもでないようになっちゃうのかなって。その上で社会がバランスをとっていけばいいわけで。
‐そういう意味ではMEGA DUGEMはその一助になるかもということですね。
ABO 他のジャンルのパーティーをオーガナイズしている人にも見てほしいですね。Mega Dugemを誇る時に「どうだFUNKOTすげぇだろ!」っていうところに行きがちがけど、それだけじゃなくて、ちゃんとやればHIP HOPでもHOUSEでもできるはずじゃんとか、クラブ業界に携わる人がこういう熱狂を体験する意義とか、色々な問題提起ができるんです。だからFUNKOTだよ~っていうだけじゃなくて、もっと色んなジャンルの人があの熱狂を体験して、それぞれの文化圏に持ち帰って、様々なジャンルでああいった熱を帯びたパーティが月1とかであったら、今クラブつまんないとか言ってる人達の抱えている問題はだいたい解決ですよ。あとはもっというと、お客さんで誰も答え合わせをしにきてないじゃないですか。今の多くのクラブって「キャー」ってなっても「キャーZeddかかってる!キャー!」だったりして。もちろん既にFUNKOTにもそういう点、つまりリテラシーを高めることである種の快感を得るって側面、若干あると思うんですが、それだけを目的にしているんじゃなくて、ちゃんと未知のものを受け止めるつもり、新しいものを体にいれるぞっていう気概でクラブにきている。それって新しい出会いがちゃんとあるっていう確信があってクラブに行ってることで、最近少なくなったことだなって思うんです。お客はパーティーについてたり、DJについてたりするから、それじゃあ答え合わせにしかならなくて。
‐「あーやっぱりあの曲やってくれた」っていう
ABO 「やっぱりあの曲いいよね」っていう。でもその人の世界は、それで広がるのかっていう問題ってあるじゃないですか。そこで何かというと、acid panda cafeが重要なんですよ。今あるクラブであんなに箱客がついているクラブってないですよ。昔だったら、とりあえず西麻布のyellow行くか~、誰かいるかもしれないしって家を出て、それでいつもはEMMAさんのハウスの日に行ってたけど、今日は田中フミヤさんが回してて、ミニマルテクノいいじゃんっていう音楽的扉が開いたり、今まで接してこなかった人との出会いとか交流があったりとかして、それでアンダーグラウンドなクラブっていうのが音楽文化だけじゃなく沢山の文化のハブになってたわけですよ。
ABO しかもそれに流れがあるというか。今アンダーグラウンドなクラブでも文化のハブになりえてないのはお山の大将的な常連が仕切ってる疎外的な箱ですが、アシパンはちゃんと箱客がついているんですよ。自分がイベントやった時も、とりあえずアシパンだから来て、たまたま僕のプレイを聴いて全然その音楽を知らなかったけどそれいいよねっていう、その人に未知の音楽との出会いが提供できるっていう。クラブにとっては一番基本的かつ健全な形であるはずなんですけど、その大前提が崩れているから今のクラブカルチャーがおかしなことになっていると思います。なので僕に言わせるとacid panda cafeはクラブカルチャーの希望なんですよね。これからはアシパンから生まれる物はサブカルチャーを越えたニューカルチャーになると僕は思っていて、でも本当は、あらゆるクラブがそれを生み出せるポテンシャルをもっているのが当たり前なはずなんです。例えば日本にFUNKOTっていう新しいものが入ってきて、キャパ100人未満の小箱から日本全土に発信して、ちゃんと広まりつつある、そういう事が普通に起きてるって事がいかに今クラブカルチャーに求められていることかと、他のジャンルの人にも知って欲しいです。
‐MEGA DUGEMに来るにあたって「FUNKOT」っていうメガネをかけるんじゃなくて。本来のクラブの意味ってこれなんじゃないかと。
ABO FUNKOTっていうのを抜いても、凄く理想的なパーティーな形があります。これには本当に色んなヒントが詰まっているから騙されたと思って見に来て欲しいなと思います。たぶん色んなジャンルのレジェンダリーフロアっていうものがあるんですが、例えばパラダイスガラージだったりとか、ベルリンのトレゾアだったりとか色々あると思うんですが、たぶん共通する空気があると思います。僕、パラダイスガラージがクローズする最後の夜の録画のビデオっていうのを持っていて、その記録映像は、MEGA DUGEMと凄く似た光景でした。
‐(笑)。
ABO まじでMEGA DUGEMはパラダイスガラージですよ。違いは、パラダイスガラージにはもっとゲイの方々が多かったってことですね。でもMEGA DUGEMもみんな上半身裸になってるからビジュアル的にはかなり近い(笑)。いや、でもほんとそうですよ。また日を改めになんかの時にしたい話なんですが、FUNKOTがいかに全うにハウスミュージックなのかって話があって、ちゃんとハウスミュージック史の文脈にキチンとのっけられるんですよ。これは結構重要なことなんじゃないのかと思うんですよ。
‐是非それはまた別の機会にお聞かせください。最後に、今日インタビューをしているこの場所、桜木DJアカデミーをなぜやろうと思ったんですか?
![]() |
桜木DJアカデミーlogo |
‐あー、ありますね。
ABO それを避けるためにはまず今あることっていうのを一通り身につけなければならないんですよね。型があるから型破りで、型がなければ型なしになるんで。最初に基本をばっちりやるんですが、ある程度基本ができたら、専門学校とか職業訓練校みたいにやるんじゃなくて、大学のゼミみたいな感じでもっとフラットで、じゃあこのYouTubeを見てみてってその事についてディスカッションしたり、あとは座学とか文化史的なところとかだったりとか。クラブミュージック以外のジャンルを扱ったりして、でも実はそれもクラブに繋がっているというアカデミックな領域の話もやりつつ。でもDJ1,2がいるからワールドクラスのスクラッチの技術も学べるし、ミックスとかも必ずぴっちり叩きこむしっていう。IBIZAなど海外でのDJ経験が豊富なYUMMYから、ワールドワイドに活動するためには、って話を聴く事も出来ますし。そういう絶妙なバランスで総合的に学べるDJスクールはたぶん他にないと思うんです。
‐講師が全員ちゃんと現場で活躍しているっていうのも他になかなかないことですよね。
ABO 先生も結構忙しいから大変なんですけどね(笑)。でもそこは妥協せずにやってます。
‐評判はどうですか?
ABO もう生徒がバンバン現場に出始めていて、今度自主的に初主催のイベントとかもやったり、しかもいきなりmoduleを借りたりして。そういう場の機会を与えるとかいっても、通常って学校主催で発表会的なパーティーをやって、あがりがでたらそれはビジネスになる、っていうのをやりがちなんですが、僕はそれはやりたくないんです。それだったら僕のツテを使って、先生の紹介で既存のパーティーに参加してもらって、それって要は俺のメンツつぶすんじゃねぇよっていうのもあって(笑)
‐でもそれは一番大切なことですよね。
ABO しっかりやれよ、っていう意味ももちろん入っているんで、生徒にとってはそうとう辛いと思うんですが。
‐逆にいいプレッシャーですよね。
ABO それを乗り越えたら一回り大きくなるんですよ。
‐友達となんとなくやっているような場に出るんじゃなくて、真剣勝負のところにいったほうが本人にとっては絶対にいいですよめ。
ABO だから生徒はみんなグイグイ延びてますね。
‐DJ教えてほしいけど、誰に教わったらいいのか話からいないっていう子も絶対いますしね。
ABO そうですね、迷ったらとりあえずここだったらほんと全部カバーできるんで。
‐さすがにクラブで直接DJに教えてくださいっていうのはなかなかできないですもんね。
ABO 昔は結構ありましたけどね。
‐いわゆるオールドスクールな感じの。
ABO カバン持ちから始まっていうディスコの時はありましたけどね。
‐今はそれに対して、いい部分はありますよね。
‐別につまようじ刺さなくてもよくない?っていう(笑)
ABO あったら早いとは思うんですけど、愛の鞭は(笑)。僕にはめっちゃ効きました。僕には必要なことだったと思います。でも時代にそぐわないですね!僕は今はノビノビやるほうがいいとおもってますし、自分もノビノビしたい!最近凄く解放感あります。
‐では最後に言い残したことはありますか?
ABO そうそう、実は僕、日本にハウスを持ってきた人のお手伝いをしてたラヴダヴってクルーに居た時期もあって。
‐ちなみにどなたでしょう?
ABO 高橋透さんていって、芝浦ゴールドのサウンドプロューサー兼チーフDJの人で、EMMAさんを発掘した人でもあるんですが、要はそれってFUNKOTでいうと政所さんなんですよね。だから僕はそういう人に惹かれるんだなって。
‐オリジネーターというか伝道師というか。
ABO もちろん一番最初に行った人っていうのもいます。ちなみにパラダイスガラージに一番最初に行った人っていうのが、札幌の人なんですよ。いまは札幌でThe Hakataって箱をやってらっしゃるトクさんっていう人で。つまりそれは言ってみるとYAMAさんなんですよ。
‐FUNKOTでいうと、
ABO しかもお二人とも北海道の人なんですよ、これはヤバイでしょ。これは単に偶然でこじつけかもしれませんが、僕的には北のDNAにはなにかハウスミュージックに惹かれる因子があるのではないかと・・・。
‐おー!確かに確かに!
ABO そういう意味でいうと、日本におけるハウスミュージック伝道師ヒストリーとFUNKOT殿堂ヒストリーっていうのが今のところめっちゃくちゃ被るんですよ。これが単なるシンクロニシティとは思えなくて・・・。うわーー、全然話せてないことがまだまだ一杯ある!なんかまた機会ありましたら!
‐まさにインドネシアン・ハウスというのは全くもって正解ということですね。今日は長い時間ありがとうございました!
(2014年3月1日渋谷にて)
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