2014年3月13日木曜日

KAZUHIRO ABO インタビューVol.1

4月5日のMEGA DUGEMにて「Break Funk」のDJとして出演していただく、KAZUHIRO ABO。
青森出身、大学で上京、ageHaのレジデントや、幼稚園DJとしても知られ、数々のイベントに出演&オーガナイズをしているABO氏の音楽遍歴を語っていただきました!
全部で2万字越え!今回は青森時代の子供~青春時代を語ってもらいました!






青森県の八戸の出身ということですが、音楽に出会う前はどんな子供でした?

ABO 音楽に出会う前の僕って限りなく精子とか、そういう話になります(笑)

KAZUHIRO ABO
記憶と同時に音楽があったということですか?

ABO 2歳ぐらいから音楽は周りにあって。ってこんな話をするとDJのプロフィールで「音楽に囲まれた環境で育ち」「幼少の頃からジャズやブラックミュージックに」みたいな、今そういうのを書いていると逆に「(笑)」みたいな感じじゃないですか。でも僕の場合はあったものはしょうがないというか、親父がジャズ好きな人で、僕が1984年生まれなんで、時代的にCDがでてきはじめた頃だと思うんですが。まだレコードの時代で、家で晩飯食った後にリビングでレコードで音楽を聴いているっていうのが家の習慣だったんです。

普通の家だとテレビとかを見ますが、

ABO もちろんテレビも見るんですが、行儀がいい家っていうよりかは、もう少し快楽よりというか。今思うとステレオの音量が他の家よりもボリュームが大きかった気がするんですよね。

ちなみにどんな曲がリビングでかかっていたんですか?

ABO そこで「そんなセンスのいいものを!」となるかと思いきや、うちのおやじは全然俗物で、ジャズが好きっていうと、例えば。

ソニー・ロリンズとか?


ABO ソニー・ロリンズとかバド・パウエルがでてきたら、「おっ!」ってなると思うんですが、そういうのじゃなくて、チック・コリアとか。しかもフュージョンがかった頃のチック・コリアとかエレクトリック・バンドの頃の。

70年代、80年代の

ABO その頃ものとか、マイルスの中期以降のものであったりとかして、割とジャズとかフュージョンの中でも俗っぽいものを聴いてましたね。

そのリビングで聴くというのは「受動的」に聴いていたんだと思いますが、「能動的」に買ったCDとかってなんでした?

ABO テープでした。3歳ぐらいの時に、A面にウルトラマンの主題歌集が入っていて、B面に音声だけでオーディオドラマみたいなものが入っていて。たぶん付属の本を見ながら聴くと楽しいようなやつを買ってもらったのが最初です。音楽っていうものがかっこいいとか、アガるとか、文化の上に成り立っていることを認知できてるわけもなくて。

‐さすがに3歳ですもんね。

ABO 家の中に音楽があるっていうのは、風が吹くとか、太陽が昇るというのと同じ自然現象と区別がつかない時期が物心ついた頃からあって。スピーカーから音が鳴ってるのと犬が吠えるのは一緒なものだという時期が続いたんです。音楽そのものを独立して「こいつはやばいな」って認識したのが、元気が出るテレビのダンス甲子園なんですよ。

へー、小学校ぐらいの時ですか?

ABO 小学12年生ですね。その時に最初は「音楽がかっこいい」「踊ってる人がかっこいい」だったんですが、見てるうちに踊ってる人よりも後ろでレコードを使って、音をコントロールしている人の方がかっこいいなと思うようになってきて、あれはなんなんだろうと思うようになってました。僕が6歳、1990年で、ちょうどその頃ってジュリアナ東京とかがあって、ゴールデンタイムにテレビを見てたら、普通にDJがレコードをまわしている姿っていうのは今以上にテレビで目にする時代で、「あれ?ここにも、あの人がいるぞ」と思って。その時に結構はっきりと、僕の将来やりたいのがあれだと思ってました。

子供ながら、うっすらと思っていたんですね


ABO DJっていうものが何をするもの、何なのかもわからないけど、僕が将来なりたいのはあれだという風に志したのがその頃でしたね。

その頃はどうやって音楽の情報を仕入れていたんですか?

ABO 機会いじりが結構好きな僕の母方の祖父が電力会社のエンジニアさんで、家の中の機械を全部直しちゃうし、ラジオなんかも自作しちゃうしという人で、小さい頃から祖父に色々機械いじりを教えてもらううちに、ラジオのタイマー録音の仕方を覚えて、エアチェックするようになったんです。特に興味があるのは自分が寝ている深夜に世の中で何が起こっているかということで、ある種の異世界気分で、

子供にとっては深夜はそういう感じですもんね


ABO で、何が起こっているのかを知りたくて、自分が寝ている間の番組を180分テープで、毎日録って小学校帰って来てから聴くっていうのが日課になって。そうこうしている間に電気グルーヴのオールナイトニッポンを偶然録音しちゃうんです。そこで石野卓球さんが今週のオススメ曲ってコーナーで当時の最先端のテクノをバンバン、それもアンダーグラウンドのやつをかけていて、そのシンセサイザーの音色とかが、「聴く漫画だな」って思って。しかも卓球さんがテクノはできるだけスピーカーをでっかくして聴く音楽だからということも言ってたんで、その曲の部分だけをメタルテープにダビングして

よりいい音で聴きたいと(笑)


ABO それをお父さんのオーディオセットを出来るだけでかい音にして、昼間に聴くっていう。

そうとう音は悪いけど、


ABO 悪いけど、大音量を以て快感に浸るという生活を小学校23年生の時にしてましたね。

音楽的にかなり早熟ですね。周りの友達と音楽の話とかあいました?

ABO 全然合わないです。全く合わないんで学校、全然ノレなかったんですよ。

いじめとかいうのじゃなくて、単にノレなかったんですね。

ABO とにかく別の国にいるようで。最低限仲良く、とはいってもその時は別に自分が特別とかいう意識とかはなくて、でもこんな趣味趣向、少なくても一般的な小学生ではないじゃないすか。良し悪しは別として。

小学生にしたら早いですよね。


ABO この良し悪しは別としてというニュアンスが伝わらないと、なんかこう天狗になってるとか言われちゃうんですけど(笑)

早熟の天才かよ!って言われるみたいな(笑)


ABO だって家にあったんだもん!それはしょうがないよ!っていうところもあって(笑)。音楽にガーってハマってるから、じゃあアンパンマンが嫌いだったかというとそうではなくて、それはそれ、これはこれ、ってなるわけですよ。なんですが、これもまた偶然僕が通ってた小学校が私立だったんですが、そこの音楽の先生がコンピューターとかに凄い強い先生で。窪田先生っていうんですが、僕はその先生の影響を未だに受け続けているというか、そこで撒かれた種を育て続けているのかなとも思っていて。でも実はその人のことを昨日まで忘れてて(笑)。僕的にはすげぇ重要なのに(笑)。

その先生はどんな授業をしていたんですか?



ABO 授業は普通の音楽の授業なんですよ。だけど音楽室にYAMAHADX7PC98がちゃんとMIDIでつながってて、音楽室の後ろのほうに、ピアノとかオルガンがあるところにオープンリールが2台、ガン、ガンってあって。

(笑)

ABO それでミキサーもあるような音楽室で。窪田先生はその小学校の図書館の貸し出しシステム、バーコードで管理してパソコンでデータを蓄積できて、みんなはそれを使って借りていくっていう、そういうシステムを自分で作っちゃうという人で。

プログラミングとかが好きな人だったんですね。

ABO 結構ギークな先生だったんです。音楽の授業で合唱の練習とかするじゃないですか。そうするとマイクが立ってるんですよ。それでオープンリールが回ってて、合唱が終わった後に聴かされるんです。プレイバックされて誰のどこが悪かったっていうのを直していくというような授業をしていて。僕も祖父譲りでコンピューターとか好きだったんで、あれ?あの音楽室のあれを使うと卓球さんがかけているテクノとか、ダンス甲子園とかでかかっているHIP HOPとか作れるんじゃないのかなと思って。

その頃は卓球さんから聴いたテクノとかダンス甲子園の曲とかはと手に入れたりしていました?

ABO 売ってなかったです。青森だし、卓球さんがかけてるのはアナログでUnderworldの「Rez」がプロモで届きました!っていう新譜も良いところなのをかけたものなので.

ダンス甲子園の曲とかはどうですか?MCハマーとか?

ABO MCハマーとかは、僕はCDとしては買ってなかったですね。

じゃあダンス甲子園で流れているものとしてとらえていたんですね?

ABO なんかC+C Music Factoryとか聴いたんですけど、なんか違うなって思って。これがけっこう重要で、僕はテレビをカセットに録音してたんですが、ダンス甲子園で使われてた音楽は多くがeditされていたんですね。

へー。


ABO ダンス甲子園で使われてるeditGutch-Gさんっていうダンス界の裏方で音を作ってる、最近だと少年チャンプルとかの音を手がけた方がやってらっしゃって。あとはT2yaさんとか。

ダンス用の短いeditだったんですか?

ABO 短くというか、ダンサーが音ハメするためにビートを足したりとか、editがガンガン入ってて、

そこまでいくとremixぐらいな。

ABO そう、そう、そうですね。そのビートが入っている曲で僕はグッときていたんですね。あとは2曲が1曲にメガミックスになってたりとか。

それを最初に聴いていたから、オリジナルを聴いてしまうと「なんか違うな」と思ったんですね。

ABO 「なんか違うなー、ダレるな~」って思ってしまったんです(笑)

主従を逆に聴いてしまっていたらそうなりますよね。

ABO なんらかの操作が加えられてることがちょっとわかって。あとはCDを買えなかった理由は単純に買ってもらえなくて。

小学生にしたらCDって高いですもんね。

ABO 窪田先生に色々聴きに行ってたんですよ。「これってどうなってるんですか?」「シンセサイザーってなんでコンピューターと接続して音を鳴らすんですか?」「この画面のこれとこの音は一緒のタイミングで鳴ってるんですか?」「オープンリールのテープとカセットテープは何が違うんですか?」とか聞いて、先生も面白がってくれて色々教えてくれました。テープの切り貼りでeditみたいなことができるんだなということが分かり、カセットテープの録音と一時停止を上手く使うことによって雑だけど編集ができることに気づいて。

ラジカセのAからBにダビングする時に、一度Aを止めて。

ABO 止めてからカセットを巻き戻して、もう一度同じところをダビングしてっていう技法を編み出して、それが楽しくて。音楽だけじゃなくて、その間に同じ秒数だけ、ラジオのトークの部分を入れてみようとかしてたんですよ。それを窪田先生に聴かせたら凄い喜んじゃって。

それは先生は嬉しいですよね。

ABO 「ちょっと、アボ君!ピエール・アンリとか知ってる?」って言われて。

いきなり(笑)。


ABO 「ミュジーク・コンクレートっていうのがあってさぁ。具体音楽っていうんだけどさぁ」って(笑)。

先生も嬉しくて興奮しちゃったんでしょうね(笑)。


ABO そこから窪田先生に現代音楽の早期教育を施されるというのがありつつ、小学校の時にファミコンを買わなくなる時期があって、なぜそうなったかというと、「タモリの音楽の世界だ」っていう番組がありまして。その番組でニューヨークからDJがきてタモさんにDJを教えるっていう企画で、同じレコードを2枚使うことでループができるんですよ、とか教えてて、それが凄くわかり易かったんで、やっとDJがわかったんですよ。

2つあるのはそういうことだったんだ!

ABO あと、レコードプレイヤーの意味はまだわかるじゃないですか。でも真ん中にあるやつの意味がわからなくて、僕、放送部員だったんで毎日フェーダーの上げ下げはしていたんで、

あの真ん中のやつの上下は音の音量ではないかということがわかっていたと。


ABO だけど、放送部の卓には左右のクロスフェーダーは付いてないんで、あれがわかんなかったんですよ。でもその番組を見て「なるほど!右と左か!パンじゃねぇんだ、右と左で音の切り替えなんだ!ようし、あれを買おう!」ということになってそこから毎月のお小遣い500円とかお年玉とか、あとはテストでいい点をとったご褒美とか、ファミコンのソフトを買ってもらう代わりに貯金するとかでお金を使わず、家に帰っては録音したテープを聴いて気を紛らわせて、電気のオールナイトも僕が小学校34年の時に終わっちゃうので、新しいラジオを探していたら久保田利伸がTOKYO FMネットで番組をはじめて、今度はRケリーだとかが流れてて、その番組「プラネット・フレーヴァ」を聴き始めてたんです。そこで「やっぱ黒人の音楽ってすげーなー」」って時に、八戸の隣町の南郷っていう、今は市町村合併で八戸の南郷区になった街で「南郷ジャズフェスティバル」っていうジャズフェスがあったんです。ちなみにこのフェス、今も続いてます。これが結構日本有数のジャズフェスで、そこにSounds of Blacknessっていうジャム&ルイスがプロデュースしたボーカルクループが来るぞっていうことがわかり、
 
南郷ジャズフェスティバル
青森に海外ミュージシャンってなかなか来ないんじゃないんですか?


ABO それが割ときてたんです。なぜかというと近くに三沢っていう米軍基地の町があって。

なるほど、営業でくるんですね。


ABO Sounds of Blacknessが来ると「ジャム&ルイスじゃん!」っ当時の僕は思い、連れて行ってもらって「やっぱ最高!」って野外で踊りまくるっていう(笑)。あとは確か小学校5年生の時にレゲエのThird Worldが来たんですよ。青森か岩手のどっちかの高原でレゲエ・フェスがあって、色んな問題があって確か1年でなくなっちゃったんですが。Third Worldはダンス甲子園で最も有名な曲といってもいいHeavy Dの「Now That We Found Love」っていう曲があって、その元ネタがThird Worldっていうこともあり、再び親に連れてってもらったんですが、子供なんか絶対来ないような、もうレゲエが超大好きな人しかいないわけなんですよ。いかつい人達がいっぱいいる中で、1組だけファミリーという(笑)で、Third Worldは割と渋好みだったから、

特に他のお客さんは特に見たがってるわけはないと。


ABO そうなんですよ、Bon Joviが来るのとはわけが違って(笑)。一緒にマキシプリーストも来てて、当時だとマキシプリーストの方がライト層には人気あったんです。で、そのフェスに集まった若者たちはハメ外しまくって、これは幼心に見た幻覚だと思いますが、そこらじゅうで何かを吸いまくってて、そんな中で超楽しかったんです。おそらくその時の副流煙が僕の初めてのサイケデリック体験ですね(笑)大昔の記憶なので気のせいな可能性が高いですが。

(笑)


ABO でもそのフェスは本当に最高すぎて、大人たちの姿も脳裏に焼き付いてて、カッコいい不良がいるなぁって。

嫌な感じのヤンキーではなく。


ABO 文化的なワルっていうんですか。悪(あく)じゃなくて、カタカナでワルっていう。その人達の盛り上がり方が本当にカッコよくて、音楽はソファーに座って聴くだけじゃないんだと思ったんです。しかも野外でレゲエのサウンドシステムも初体験で、強烈な低音と音波のアウトラインをなぞるかのように、音に身をゆだねている大人っていうのは初めてみて、その体験が超強烈でしたね。

で、いつDJセットは買えたんですか?


ABO 中学1年の終わりのほうですね。

おー、4年ぐらいかかりましたかー。


ABO その前に、小学校5年の時に小学校のカリキュラムでシアトルにホームステイをして、メキシコ系の家でそこの家の弟は僕と同い年だったんですが、その兄貴がバリバリのB-BOYでブレイクダンサーだったんですよ。

90年代中盤ぐらいですか?


ABO 945年とかですかね。その兄貴はいわゆるオールド・スクール、ミドル・スクール、ゴールデン・エイジていうのを経験してて。

ちょうどいい時期ですね。


ABO それで、その時代の曲のミックステープに合わせて、ダンスの練習をガレージでやるんです。仲間も集まってきて、若干の悪さをしながらダンスの練習を毎日している家で。その時にボブ・ジェームスの、RUN DMCとかがサンプリングした大ネタになっている曲のブレイクビーツ(Take Me to the Mardi Gras)があって、そのボブ・ジェームスの元ネタをうちのおやじが持ってて、小さい頃から聴いていた曲だったんで「あーこれ知ってる!でもちょっと知ってるのとは違う形になってて、これって何なの?」って聞いたら、「これはサンプリングだ」っていうことを教えてくれて。DJ2枚使いのことを教えてくれたりとか、当時英語は全然わかんなかったんですが、たぶんそんな話をしてたら「お前、これ好きなのか!お前もBrotherだぜ!」って。

(笑)。


ABO それで帰国する時に、そのあんちゃん達からカセットテープ、ミックステープを餞別にいっぱいもらって、ずっと小学校、中学校とそれを聴きながらもTKとかも好きっていう。globeとかも凄い好きで。自分の音楽履歴を語るとHIP HOP少年と、テクノ少年と、ハウス少年と3人分の人生が平行線にきている感じがあって。端から見ると人格が分裂した人みたいなんですが、本当に同時に享受してて。お前のホントのルーツってなんなの?ってたまに聴かれますが、全部!としか言いようが無い。もしくは相手に合わせて答えを変えたり。

お父さんと、音楽の先生と、卓球さんと、シアトルのブラザーから。


ABO そんな人生送ってるやつがFUNKOTを嫌いなわけないじゃないですか(笑)

なるほど(笑)。


ABO それで中学校1年生の時にやっとDJセットを買えたんです。シアトルでの体験が強烈だったんでテクノというよりもHIP HOPをやって、

向こうで体験しちゃっているのは大きいですよね。


ABO それとターンテーブルの使い方とかもやっぱり手っ取り早く面白いからスクラッチから入っていたし、テレビとかでDJを紹介する時はスクラッチから紹介したりしてたんで、HIP HOPのほうか練習してたんですよ。ただその頃はHIP HOPのレコードを買うお金がなくて、親父のジャズのレコードで練習して、

バレないように(笑)。


ABO 絶対怒られるんですけどね。

「最近なんか音が変だな」って(笑)。


ABO そんな練習の中でわりとできるかなーっていうぐらいになってきて、自分は周りの誰よりも早く始めてますし、

かなり早熟ですよね。


ABO 同世代じゃ一番最初にスタートして、一番上手いだろうと思ってたんですけど、地元の島村楽器でDJバトルがあって、当時はまだDMCチャンピオンになる前のDJ KENTAROさんとかが呼ばれてたりとかいうような大会でした。そこに自分と同世代で、たしかSTEZOTo the maxとか使って、凄いネタとか2枚使いとかスクラッチとか超上手いやつがいて、それが今桜木DJアカデミーで一緒に先生やってるDJ1,2だったんです。彼は八戸の近くの三沢という街の出身で、DJセット買うのも数週間違いだったんです。彼のプレイを見て、これは彼と同じ土俵にいちゃあ勝負にならん!と思いまして。
DJ1,2

こんな近いところに、こんな奴がいるんだ!と


ABO 当時はそう思ってたんですが、それは自分も運が悪くて、のちに彼はITF JAPAN2003のチャンピオンになって、それで世界でも9位になるぐらいの人で。でも当時は、「これはまずい、あいつにない武器が何かないか」と思って、そういえば俺にはテクノがあるじゃないか、と。あとぶっちゃけると、スクラッチ向いてなかったのか、全然上手くならなくて(笑)致命的に不器用なんですよね。僕。字も絵もかけませんし。

ラジオ伝いで石野卓球の遺伝子受け継いだ。


ABO で、それでテクノとかも改めて意識的に掘るようになって、小学生の時よりも行動力もお金も広がったんで、あとは学校に行ったり行かなくなったりし始めて。

不登校とかというよりも他にやりたいことがあるんだという感じですね。


ABO それで学校にうまくのれなくなって、入り浸ってるのはシスコ流通の輸入盤屋さん。そこにHIP HOPもテクノもハウスも一応12インチがあったんです。

そこで他のお客さんとか店員さんと仲良くなって。


ABO そして地元の師匠筋の人達、地元のクラブやディスコで回している人達とつながって「そんなに好きだったら手伝う?」みたいな感じで、カバン持ち的なお手伝いを初めて、クラブの世界にだんだん入っていくんですけど。

そんな中で、アナログを買うお金ってありました?


ABO 中学生の時の月々のお小遣いって1000円だったんですよ。HIP HOP2枚使いするためには当然2枚必要で、1枚が1280円ぐらいなんです。1枚でも足がでるんでなんとかしないといけない。月に1タイトル買えたとしても年12枚。

1時間ももたねぇよっていう(笑)。


ABO これじゃあ話になんないって思ってました。それに東京のレコファンとかにあるような100円箱とかも八戸にはなくて、音楽がダウンロードできる自体じゃないし、CD焼ける時代でもなくて。

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お金がないABO少年はどうやってレコードを買うお金を稼ぐのか?
Vol.2に続く!

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